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ハンガリー第二の都市の知られざる魅力(2)

デブレツェンの大教会でハンガリーの歴史を辿る

パップ英子パップ英子

2016/04/24

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デブレツェンの象徴“カルヴァン派大教会”の、いざ“頂上”へ!


(c)FinoMagazin ( http://www.finomagazin.com/ )

先月(2016年3月)開催された “2016年世界ジュニアフィギュアスケート選手権”で、本田真凛選手が優勝という嬉しいニュースは、皆様の記憶に新しいことと思います。その舞台となったのは、“デブレツェン”というハンガリー第2の都市。首都ブダペストとは、趣きや雰囲気も異なる閑静な街で、散策しているだけなのになぜか穏やかな気持ちになる居心地のよさがあります。

日本の皆様にはまだまだ馴染みのないハンガリーの地方都市、デブレツェンについて、今回もまた、写真とともに街のリアルな魅力をレポートしたいと思います。

ハンガリー、ハイドゥー・ビハール県の県都、デブレツェン。ハンガリー第2の都市であるこの街の中心に位置するのが、写真にあるコシュート・ラヨシュ広場です。

この広場の名は、19世紀ハンガリー王国時代の政治家であり革命家であった“コシュート・ラヨシュ”に由来しています。写真右側には“コシュート・ラヨシュ”像が、その奥には左右に2本の塔がそびえるネオクラシック様式の美しい教会が見えていますね。

前回、お伝えした通り、この大きな建物はカルヴァン派大教会といって、改革派(カルヴァン派)の拠点といわれる場所です。1805〜1822年にかけて建設された同教会は、この街のシンボルでもあります。

数々のハンガリー史の表舞台となった聖堂


(c)FinoMagazin ( http://www.finomagazin.com/ )

教会に入ると受付があり、そこで拝観料を払って入場すると、美しいパイプオルガンが中央に見える聖堂がありました。この聖堂、天井までの高さは約21m、座席数はなんと約3000席もあり、5000人は収容できるというとても広々とした空間です。ステンドグラスが駆使されているカトリック教会ほどの派手やかさはありませんが、白を貴重とし、とても荘厳された清らかな聖堂でした。

中央ヨーロッパに位置し、陸続きの周囲の国々による侵攻や領土侵略に常に悩まされ続けてきたハンガリーという国。周囲が海に囲まれた島国の日本からすると、ハンガリーの歴史はかなり複雑に見えるかもしれませんね。

今回、取り上げるカルヴァン派大教会やデブレツェンの観光名所、それらの地名は歴史上の人物に由来することがとても多いので、まず、ハンガリーの歴史を早足で説明したいと思います。

1000年頃、“イシュトヴァーン1世”が即位し、1918年までハンガリー王国が続いたハンガリー。

1526年、ハンガリー王国はオスマン帝国の攻撃を受け、中央部と南部はオスマン帝国領ハンガリーとして侵略されてしまいました。また、その前後にも、この国は“ハプスブルク家”率いるオーストリア帝国の侵略を受けて、国の西部と北部はオーストリア帝国の支配下となってしまったのです。

その後の近代史を見ても、1945年の第二次世界大戦後にハンガリーは旧ソ連軍によって占領され、1989年まで長きに渡り社会主義国であり、常に周囲の国々に翻弄されてきたことは、ヨーロッパの歴史に関心が高い方なら、よくご存知かもしれませんね。

時は1800年代、ハンガリーはあの貴族中の貴族と謳われる“ハプスブルク家”の統治下にありました。1848年、ハンガリー王国はハプスブルク王朝のオーストリア帝国から独立しようと革命を起こします。その“ハンガリー革命”を先頭に立って指揮し、ハプスブルク家と闘った政治家が、先ほど広場名の由来として紹介した“コシュート・ラヨシュ”という人物です。

彼はハンガリーの近代史のなかで、最も有名な政治家であり革命家でした。ハプスブルク家との戦いにハンガリーが劣勢となった時、コシュートは首都ブダペストから国の拠点をハンガリーの東部デブレツェンに移し、この地でオーストリア帝国からのハンガリー独立を宣言しました。ハンガリー革命の舞台となったのがデブレツェンであり、このカルヴァン派大教会だったのです。

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教会内には


(c)FinoMagazin ( http://www.finomagazin.com/ ) (写真左)コシュートが腰掛けた椅子 (写真左)多くの展示物が見学できる

筆者が撮影してきた教会内のこちらの椅子は、当時コシュートが腰掛けた本物の椅子で、ハンガリー独立を記念するシンボルとして現在も教会内に飾られています。

聖堂を出て、さらに奥へと進むと、目の前に階段とエレベーターが現れます。その階段を上っていくと、聖地エルサレムや厳かな神殿、キリスト降誕の舞台となった聖家など、キリスト教の歴史にまつわるさまざまな展示物がディスプレイされていて見学できるようになっていました。

それらの展示物は主に、教会内部の右側にある塔で展示されていました。途中から左側の塔に移動し、教会の頂上エリアを目指してそのまま階段を上り続けると、上っていくにつれ、どんどんと狭く急勾配な階段となっています。ヒールがある靴で上るのはやや危険なので、フラットシューズを履いていて正解でした。


(c)FinoMagazin ( http://www.finomagazin.com/ ) (写真左)塔の頂上へ向かう階段 (写真右)ラーコツィの鐘

聖堂のある1階から見学を始め、教会左側の塔に移動していくと、とても大きな古い鐘が見えてきました。この鐘は「ラーコツィの鐘」(*)と呼ばれ、ハンガリー国内のプロテスタント教会にある鐘では、いちばん大きい鐘なのだそうです。

(*)ラーコツィとはトランシルヴァニア公※ラーコツィ・ジョルジ1世George I Rákóczi(8 June 1593, in Szerencs – 11 October 1648, in Gyulafehérvár)のこと。ラーコツィ・ジョルジ1世が(家臣に命じて)造らせたもの。

元々、このカルヴァン派大教会は1297〜1311年に建設されたゴシック様式の“聖アンドリュー教会”でしたが、その教会は戦火によって焼失してしまったのです。現在の姿は、1805〜1824年の間に再建されたネオクラシック様式の教会が原型といわれています。


(c)FinoMagazin ( http://www.finomagazin.com/ )

ようやく教会の頂上部分に辿り着き、窓の外に広がる眺めを撮影してみると、ご覧の通り、デブレツェンの街を一望でき、とても気持ちのよい眺めでした。


(c)FinoMagazin ( http://www.finomagazin.com/ )

デブレツェンの中心に位置するカルヴァン派大教会をお伝えした後は、教会の目の前から発着しているトラムに乗って、緑豊かな場所を散策してみました。

ここは湖のある広々とした公園で、デブレツェン市民の新しい憩いの場。視線の先にうっすらと見えているのは、デブレツェンで人気のスパ・リゾート・ホテルでした。

燈台のような不思議な建物、これは一体?

湖のある大きな公園の奥を歩くこと約20分、ハンガリーは内陸国なので海がないのですが、なぜか海にある燈台のような不思議な建物が見えてきました。

縦長の不思議な建物のなかに入ると、目の前には可愛らしいカフェが!

センターにはスタッフがドリンクや軽食を作るキッチンスペースがあり、下の写真のように窓際にゲスト席が設けられているオシャレなカフェでした。

この建物は最近、デブレツェンの若い人達にとって人気のデートスポットとなっているようで、1階2階はインテリアのオシャレなカフェがあり、地下1階はライブスペースや多目的ホールとなっていました。

見た目の印象では室内はとても狭そうに見えたのですが、いざなかに入ってみると天井が高く、空間の使い方が上手なこともあり、とても広くゆとりのあるスペースになっていたのが印象的です。

デブレツェンの街並や建物を2回に渡りレポートしましたが、いかがでしたか?

ハンガリーには世界遺産都市のブダペストはもちろんですが、地方都市も趣きがあり、旅好きな人にはきっと興味深いエリアが色々あると思います。デブレツェン・レポート、最後となる次回は、名医を多く輩出する名門校として有名なデブレツェン大学の歴史ある構内の様子をレポートします。

建築様式にも注目してお伝えしたいと思いますので、次回ラストとなるデブレツェン・レポートをどうぞお楽しみに!

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この記事を書いた人

“FinoMagazin”(フィノマガジン)主宰(編集長)

ハンガリー在住コラムニスト。 食品会社でワインインポーター業務に従事した後、都内の広告代理店に転職。コピーライター、ディレクターとして勤務。百貨店やデパート、航空会社、ベビー・ブランド等のクリエイティブ広告で、インテリア製品のコピーライティング、ディレクション等を数多く手がける。 2013年、夫の国ハンガリーに移住後も育児に奮闘しながら執筆業に邁進。日本の雑誌(出版社)でハンガリー紹介記事(取材・撮影・文)を担当。また、自身とハンガリー人クリエイターとで運営するブダペスト発ウェブメディア“FinoMagazin”でもインテリアを含めたライフスタイル全般コラムを連載。美容メディアにてビューティ・コラム連載、その他、企業のWEBサイトや企画書制作、日本のTV局、広告代理店、メーカーからの依頼でハンガリー現地ロケ・コーディネート等、多岐に渡る業務をこなしている。 自身主宰のハンガリー情報WEBメディア “フィノマガジン” http://www.finomagazin.com/

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